■YUKI von MURATA氏からの福島原発事故レポート2部

■YUKI von MURATA氏からの福島原発事故レポート2部
2-3-1キエフ・チェルノブイリ博物館

◆博物館の前には当時活躍した消防車など
◆事故当時、廃墟となった市町村は1000市町村以上
◆事実をソ連政府同様、福島原発周辺住民に知らせず
◆チェルノブイリの住民は既に被曝していた。
◆実は世界で遅れた国だったことを知りショック
◆権力のイスにネコが爪を立てるようにしがみつく日本の不幸。
◆改めてTEPCO(東電)のいい加減な作業に驚く。
◆原発と「闘って死ね」といっているようにも

◆博物館の前には当時活躍した、消防車、救急車、軍用車両などが並べてある。
入り口のチケットカウンターには、チェルノブイリから強制的に避難した住民の各家に残された各々の一体の人形が数百ページに掲載されている写真集が置かれている。それは事故直前まで住民の女の子が抱いていたであろう、あるいは大事にしていた人形を置き去りしなければならない状況だったことを物語っている写真である。物を言わない、そして朽ち果てていく人形だけの存在が逆にそこに映し出されていない当時の住民達の恐怖、悲劇、死が伝わってくる。

少し、カウンターの女性と話し、階段を上がる、両サイドには放射性物資に汚染され閉鎖された主要市町村の名前がある。
◆事故当時、廃墟となった市町村は1000市町村以上になる。

2-3-2第一展示場:右に曲がると赤いアラートが回転して光っていた。時に西暦1986年
4月26日。世界は冷戦だった。鉄のカーテンの向こうでは情報封鎖されていた世界であった。突如、ソ連・チェルノブイリ原発で実験中に制御不可能になり事故が発生した。原発付近の都市は日本人にわかるように伝えるならば、草加、多摩、千里団地のようなアパート群が中心となる新興住宅地だった。サッカースタジアム、ホテルなどある。現在は廃墟。

住民達は目の前の原発が赤く燃えているのを眺めていた。事実を知らされぬまま、3日以内に退去するように命令が出た。私物を含める、荷物持ち出し禁止。地域によっては一人一個まで。住民達は市バスなどの公共機関で批難。

(日本政府、地震直後かつ福島原発事故直後の夜・・・日本政府の奇妙な動きがあらわれた。国土交通省・・・すでに事態がよくない事を知っていた。そして
◆事実をソ連政府同様、福島原発周辺の住民に知らせず・・・が福島へ密かに50台余りの高速バスを手配した。・・・日本政府の一時避難の声明・・・日本政府の奇妙な整合性がない様々な情報を感知した。やがて情報を分析して日本政府が情報操作(ウソ)していることが確証できた。東日本が放射性物質で汚染されたことが察知できた。たまりかねて投稿翌日3月15日に掲載された。その後の日本政府・御用学者の情報操作のオンパレードに紅い社会主義国家のように感じた。・・・ドイツ連邦共和国のメディアの報道と対照的になった。)

この時、
◆チェルノブイリの住民は既に被曝していた。福島同様に被曝した。このチェルノブイリ原発周辺では、後若者達の多くが数年後に他の汚染されていない地域と比較して高い頻度で、癌などで亡くなった。

2-3-3時のソ連・ゴルバチョフ書記長(後のソ連。最後の大統領)は、このままでは、自国が衰退し崩壊することを、さまざまな情報だけでなく、本能的にも理解していた。原発事故報告を受け、自国の硬直した官僚システム、共産党教条主義、隠蔽体質、ことなかれ主義等に大きな原因があることに理解した。そして、この事故を契機に、ゴルバチョフ書記長はグラスノスチ(情報公開)を推進させる。やがて、多くのロシア人をはじめとするソ連の人々は、自分達が世界でもっとも進んだ国だと信じていたことが、崩れ去り、
◆実は世界で遅れた国だったことを知りショックを受ける。

ゴルバチョフ書記長が、某国総理と異なるのは、当時としては、そして既存のシステムを打ち破り情報公開、事故処理・対応を敏速に行うように可能な限り指導力を発揮し、ペレストロイカ(改革)したことである。ゴルバチョフ書記長の言葉には思いがあった。聞くものにも魂に伝える力があった。敵であった西側指導者も彼なら一緒に仕事ができると動かした。ゴルバチョフはソ連崩壊後、ロシア大統領となるが、権力には執着せず、後継者にその座を渡した。

一方、(北朝鮮のための?)市民運動家の、どこかの総理のように数十の委員会を立ち上げ、指揮系統混乱状態、改革と謳う一方、反発する官僚を説き伏せ、国家非常時に立ち向かうように振るい立たせるような説得と指導力ができない事と、ゴルバチョフ書記長の能力とは全く好対照である。政治は野良犬の喧嘩という自説通り、政治の質を劣化させ、思いが魂に伝わらない言葉は、国民及び味方までそっぽを向けられ一緒に仕事できないという今日の状況になった。そして
◆権力のイスにネコが爪を立てるようにしがみつく。これは日本の大きな不幸である。

2-3-4さて展示場に戻ろう。3種類の防護服とブーツを着用した作業員、兵士などの等身大の人形が展示してある。当時の作業員、兵士は事故の事実を伝えら得ていなかった。

福島でブーツを履かず靴で現場に入り被曝した3名の作業員の情報を聞いていたので、
◆改めてTEPCO(東電)のいい加減かつ人命無視な作業に驚いた。そして、日本国民の命を助けようとする現場スタッフ、作業員に貧相な食事を提供する貧相なかつ非人間的なTEPCOの姿勢に驚愕した。まるで北朝鮮の原発作業員が将軍のためにと叫び、原子炉の冷却水に入って作業するのと同じ位TEPCOは野蛮に写った。これは日本的美徳でもない。例えば、旧日本軍隊でももっとも働くもの、戦闘機乗りには多くの食事が与えられるように、海外ではFUKUSHIMA55のように応援がある作業員、また日本の「国運」を握る原発作業員の食事は暖かい食事と寝床で満たすべきはずである。
TEPCOという会社がやはり非情な組織にも写る。本来、報道に流れて際に、会長が改善指導しなければならないはず。誠に遺憾ながら、かなり時が経過するまで改善されなかった。

また日本国が緊急作業をする原発の作業員の電離放射線障害防止規定で被曝量の50ミリシーベルトから一気に250ミリシーベルトに引き上げたのはもはや、国家犯罪級である。そのレベルにしなければ作業が継続できない状況であるのは理解できる。同時にそれには国運がかかっているのは理解できる。この250ミリシーベルトは明らかに、生殖機能に障害を与えるレベルである。最悪の場合は「死」である。
◆(原発と「闘って死ね」といっているようにも聞こえる。従業員を使い捨ての印象を与える。現場の従業員は国民を救おうと決死の作業であるのに。)そこで、従業員にその事実について正確に説明し、覚悟の同意をさせているならばよいが、説明を受けていない従業員もいる。従業員のなかにはこれから家族を築こうとする若い世代もいる。遺伝及び生殖上問題がでるレベルに説明していないとすれば、それは明らかな犯罪性がある。さらえに政府は500ミリシーベルトに引き上げようとしたが、反対され却下された。日本メディアはこの件でも当時議論されていなかった。海外ではどのように写ったかわかるだろう。

次回2-3-5犠牲者の写真は語る。につづく