◆表現者 68号「あまりにも大きな日独間の隔たり」 =強かなり、オバマの「ブレーン」活動=(拙稿ゲラ)

表現者 68号「あまりにも大きな日独間の隔たり」
  =強かなり、オバマの「ブレーン」活動=

『米国』論を語らせては、ピカ一! 
右に出る者がいない国際政治・米国金融アナリスト伊藤貫氏の寄稿文に
こんな一節がある。
少し長くなるが引用させていただく。
「『理想主義に満ちた高尚な外交演説をした』という”歴史的な偉業
”によってノーベル平和賞を受賞なさったオバマ閣下は
実は不気味に異様な『暗殺マニア』であり、大統領に就任してから
現在まで、5千人以上の
『アメリカの敵』や『イスラエルの敵』を暗殺してきた。
初代ワシントンからブッシュ(息子)までの二百二十年間に四十三人の
大統領が出した暗殺命令に総数よりも、
最近七年間にオバマが一人で出した暗殺命令の方が多いのである。
ニューヨーク・タイムズによると、
オバマは毎週火曜日の夕方、大統領執務室の机の上に反米活動家・反米言論人や
ゲリラ戦士の顔写真の付いたカードを並べて「こいつを殺せ! あいつを消せ!」
とCIAの担当官に命令するという。」(表現者66号より)。

私は咄嗟に、ここにこそオバマの政治家としての「強かさ」があると思った
だからこそオバマは、内心は忸怩たる思いがあったものの、
たとえレームダックと嘲笑されようと、アメリカを弱体化に追いこんだ
第二次世界大戦後最悪のヨワムシ野郎と罵られようと、、
何はともあれ、対等量在任中『命』を狙われ暗殺の憂き目に遭って、
ムダ死にすることだけは、避けることができたのであり、
そのオバマの真意を忖度すると
何たって、オレは米国史上、初の黒人大統領としてその名も『ホワイトハウス』
(白人を最優秀国民と正当化しその権利を昂然と誇示する館)に単身乗り込み、
米国一、いや世界一の権力の座を占めることができた。
しかも結果として2期=8年にもわたり、何事もなく無傷で大統領職に就くことができた。
これに優るものがあるか。あるなら言ってみろ」ということになる。
しかしそれにしても、そのオバマの執拗なまでの、とりわけ『命』に対する拘りとは
一体どこから来るものなのか
一つは、ケニア人を父に白人の母との間で生れたハーフとはいえ、
彼が所属するアメリカ社会とは黒い肌を持つアフロ・アフリカ系に対し、
長年、黒人奴隷制のもと、彼らを「殺しつくし、奪いつくし、焼き尽く」しても
一遍の両親の呵責もない「白人至上疑似民主主義国を構築してきた国であることを
思い知りながら、にもかかわらず、この宿命に耐え、常に対峙し生きて
来なければならなかったきたこと。
二つは、従ってオバマは1861年3月4日に第16代米国大統領に就任し
南北戦争というリスクを背負って奴隷制度廃止に尽力したリンカーン! 
しかも偶然とはいえ、弁護士から転じて政治家を志ざし、イリノイ州上院議員を経て
米国大統領に就任するなど、共に二人は似通った人生を歩んできたことも重なり
リンカーンには、常に敬愛の念を抱記限りなく敬愛していた
その証拠にオバマは2009年1月の大統領就任の際、リンカーン愛用の聖書を持参し
宣誓式に臨ん出いる)。三つは、そのリンカーンが、大統領2期目1865年に、奴隷解放反対者の手によって暗殺された。
ちなみに米国における歴代の大統領で暗殺されたのはリンカーンが最初で合計4人。
しかも4人目は黒人の人権と差別撤廃に前向きだったケネデイだったことも
忘れてはならない。
というわけで、当地ドイツ・フランクフルト在住のその筋で情報活動に携わっている
某米人に話によると、
「何しろオバマは、大統領当確と同時に、とりもなおさず、任期中における
オバマ標的暗殺回避工作(とりわけ裏切り者排除)に最重要事項として
万全の対策と処置を講じる姿勢を強く打ち出した」そうで、
そのオバマの意を汲んで二人の人物が、陰になり日向になって
オバマの身辺安全保障体制固めに貢献したといわれていルことだ。
一人は、、首席補佐官に抜擢したユダヤ系ラーム・エマニュエル民主党イリノイ州下院議で、
彼は、オバマ大統領擁立にあって、いち早く選挙区イリノイ州で、
オバマのために汗を流した人物で
例えば、イリノイ州シカゴ市において、かの世界に名だたる
[マフイア「シカゴ・アウトフィット」と、
シカゴに本部を置く米国最大手の原子力発電所本「エクセロン」にコネをつけ、
オバマの用心棒と豊富な選挙資金集めを行っただけでなく、
イスラエルとの関係も密で、その筋の情報機関から豊富な機密情報を把握していた。
今一人は、ブッシュ・ジュニアから大統領職を引き継ぐ段階で、
ロバート・ゲイツを国防長官(米国で政権交代の際、引き続き国防長官を
留任させるケースはオバマが初めて)を起用した。
彼ゲーツは既に大学在学中からCIAに目をつけられ卒業と同時にCIA入りし、
この道一筋で(途中軍隊に出向したこともある)
着々とトップに上り詰めた(CIAでは中途採用は珍しくない)
生粋のCIAマンで、パパ・ブッシュがCIA長官に就任(1076-77)
したころから、急に実力を発揮するようになり、その手腕を見込んだ
・ブッシュが大統領就任と同時に、即、CIA長官(1991-1993)に抜擢した。
その縁で、レーガン政権後、ブッシュ・ジュニアが大統領に就任し、
イラク戦争の不手際で責任を取りっ辞任したラムズフェルドの後任として、
今度は国防長官(2006年から2008年)に任命され、
泥沼にはまったイラク戦争の後始末役として、
武器と諜報両刀を巧みに使い危機を切り抜けた強か者だった。
このエマニュエルとゲーツが、オバマの親衛隊の長として
右と左からホワイトハウスとCIA+と国防省に睨みを利かせ、
オバマ危険信号が入ると直ちにその芽を摘み取り、裏切り者にあっては
徹底的に破壊してしまう体制を構築して見せたというわけである。
 しかも、その引き際もスマートだった。この体制が完璧に機能することを確認し
一息つくや、エマニュエルは2010年、大統領首席補佐官を辞任し、
シカゴに戻ってシカゴ市長に選出され、
 一方、ゲイツは、2011年に国防長官を退任し、2012年2月、
ウィリアム&メアリー大学総長に就任している。
 というわけで実は
『理想主義に則った高邁な政治家』オバマというイメージ作りとは、
この二人の構築した頑強なオバマ・ガードに支えられるなかで築き上げたもので、
たからこそ可能だったといわれていることだ。
 今一つ、米国主導の2003年に開始されてイラク戦争とは
「イラクが大量破壊兵器を保有している」なるCIA虚偽情報によるものだったことで、
この事実が世界中に知れ渡り、
米国としては急遽、その信用回復のためCIAを始め一連の
米諜報機関の不信払拭の必要に迫られたいたからで、
その悪評消しのカムフラージュにオバマを理想主義者に仕立てて、
世界の舞台に登場させ、米国の贖罪に利用したとも・・・・ 
 その初仕事こそがオバマ大統領領就任直後の2009年4月5日、
チェコにて宣言した核廃絶であり、その最後の仕上げこそが、
伊勢志摩サミット訪日に合わせ米現職大統領として初めて、
被爆地・広島を訪れ、核兵器廃絶に向けて取り組む決意を表明した。
これがいかに米国にとっては困難な事業であったか! 
まかり間違えば、米国民の多く(当時原爆を投下した白人)
を敵に回しかねない。
 にもかかわらず、オバマは5月27日午後、被爆地・ヒロシマを訪ずれ、
平和公園で原爆慰霊碑に献花した。
そして「広島と長崎を核戦争の始まりとして記憶するのではなく、
人類の道徳的な目覚めにすることで被爆地の経験を伝え、
核兵器が2度と使われないようにしなければならない」と演説した。
そればかりか、平和記念資料館を訪れ、
自らの手で折った四つの『折り鶴』を持参し、
うち2羽は出迎えた地元小中学生2人に手渡し、
残り2羽は、同資料館の芳名録のそばに置いてきた。
 このような作業は恐らく黒人というカードを使えるオバマにしか出来なかったに
違いない。
 そのために暗殺回避に最たる知恵を絞って生き残って見せたオバマ大統領1 
私はそのオバマのタフさに改めて感嘆している。