■YUKI von MURATA氏からの福島原発事故レポート2部

◆この章は当時悲惨な実情と今日まで放射性物質汚染の影響を伝える事になる。
◆夜中に輝いているのは、キエフで現存する最古の教会ソフィア大聖堂、
◆旧ハプスブルグ家の支配下にあったウクライナ人の心と独立の原点である都市
◆だから、あいつらは世界を理解できず、各国で誤解されるのだ
◆メディアと視点を変えて、私がここで伝えたいことを

2-3.ウクライナ
副題:闇の魔法使いによって全ての住民が悲しみの中で突然石にされたような場所
◆* :この章は当時悲惨な実情と今日まで放射性物質汚染の影響を伝える事になる。精神的につらくなる読者もいらっしゃるだろう。だが、現実を直視することによって、我々が、読者の皆様各自が現在の直面している問題である福島原発の影響から可能な限り避け、最小限の被害ですむことができる知恵を得る事ができる。それは同時にチェルノブイリ原発事故で亡くなった犠牲者の死が無駄にさせないことにもなる。それを無視することは、尊い命を犬死させることになる。我々はそうさせてはならない。私はその願いと犠牲者に対する弔いを込めて読者の方々にお伝えできれば幸いである。

ミネルヴァのフクロウが黄昏から夜中に飛ぶように、ベラルーシ共和国・国境を越え、一端、気晴らしに西方へ迂回して、2日後に真夜中のキエフに到着した。そして、早朝まで、夜の都市の顔を眺めながら、中心部の土地勘を可能な限り住民のレベルまでに近づくように養った。 

◆夜中に輝いているのは、キエフで現存する最古の教会ソフィア大聖堂、かつての巨大なモスクワホテル(現ウクライナホテル)、あるいはマクドナルドより、目立つ日本食レストランには驚いたよ。ウクライナでは日本食(都合のいい時に自称日本人になる怪しいアジア人経営でない。主に現地人経営)が流行っているようだ。
◆旧ハプスブルグ家の支配下にあったウクライナ人の心と独立の原点である都市(注)リヴィウにも24時間営業のうどんなどのレストランと寿司バー。黒海の港町・オデッサ・ドイツ領事館の一階にもKOBEがある。旧市街にもやきとり。そしてここキエフの中心地にも鳥居に村神という漢字とキリル文字のやきとり(ぼうや♪日本昔話のようなイメージのレストランではない。日本人のセンスではできない。)その近くにも寿司バー、その他の訪れたウクライナの都市でも一等地にあって同じだった。(著者は当地の日本食の味は知らない。原則として現地の食事を楽しむことにしている。ヨーロッパの友人達は「ヨーロッパに来るアメリカ人達はマックばっかり行って、自分達の地元の料理を食べない。」と不満を言う。「彼らは我々の文化を理解しようとする意志がない
◆だから、あいつらは世界を理解できず、各国で誤解されるのだ。」という意見もよく聞く。著者も同意しているので話をさらに盛り上げる。)

注:ウクライナ・カトリック総本山・聖ゲオルギー大聖堂ある。ギリシア正教の典礼を行い、ローマ法王に仕える。他のウクライナの都市と異なり、古きオーストリアの地方都市のような情緒がある。日本の京都、鎌倉に当たるような場所。

キエフのソフィア大聖堂の売店では、キエフ大学で日本語を学ぶ女子大生達がアルバイトしていた。(9月の新学期後はどうなっているかは、わからないが。)
◆日本の日本人大学生より日本語が上手だったよ。最近、中国人留学生より、日本語が通じない、理解していない日本人が多いのは私だけではないと思う。なぜ? 例えば、日本企業の中には若手の社員・技術者がマニュアルなどの日本語がわからないという社員が増えたと難儀しているようだ。

その かいしゃ の かた は、かれら には やさしいことば に しない と つうじない。と いって いました。 その うち、けいたいでんわ の えもじ に しない と つうじ ない じだい に なる かも。こまったね。

さて、本題には入ろう。

ここでは、チェルノブイリ原発現地の現状は、日本の多くのメディアが既に十分に述べているので省く。正規に原発から半径30kmにはいる許可書をもらい高い料金を払い、キエフから原発からチェリノブイリ駅まで行き原発とその付近の廃墟となったホテル、アパート郡に行き、その後被曝検査を受ける。か、あるいはなんらかの方法でチェルノブイリに近づいてメデイアが述べていないようなサッカースタジアムのピッチに巨木が生えているチェルノブイリという死の都市などの現状を重ねて伝えてもあまり意味がないと判断した。むしろ
◆メディアと視点を変えて、私がここで伝えたいことを述べる。それはウクライナ国立チェルノブイリ博物館の展示である。

博物館と言うものはその全てを伝えることはむずかしい。例えばベルリン中心部河岸にあるDDR博物館を例にあげる。そこは当時のDDRの住民生活を再現している。狭いスペースには家庭にあった車、台所、浴室、電話、郵便、雑貨などの一般生活品の展示がある。だが、これらには当時の外貨ショップ、品不足、遅い電車、限られた出版物、監視社会などまでは伝えられていない。つまり、限界がある。(DDR:ドイツ連邦共和国・ソ連占領地区―通称東ドイツ)

だが、これから挙げる、チェルノブイリ博物館は限界がある中で、コンパクトながら十分に当時の状況を最低限伝えている。そして、想像力を用いれば現実はその以上だったことが伝わってくる。

次回2-3-1チェルノブイリ博物館(ここを通して当時の被害状況とその後の放射性物質汚染の被害者状況を伝えます。時折、原発周辺の状況も折む。)につづく。
YUKI von MURATA