■息子をドイツの徴兵に送って(3) 永冶ベックマン啓子

■息子をドイツの徴兵に送って(3) 永冶ベックマン啓子

◆九州北部豪雨:阿蘇・内牧温泉復活させよう! 
◆生家を災害で失った友人松岡さんからの二度目のメール
◆そんな時、孝子さんから電話あり、元気が出ました。
◆私費のやりくりや業者を探す苦労をして、ずっと不眠だったそうで
◆カウンセリングが必要な老々家庭が多いです。
◆次いで道世さんは私に紹介してくださった永冶ベックマン啓子さんにも
◆温かいお電話とメール、心熱く、元気とパワー余裕を頂きました。
◆さてここからは啓子氏のエッセイをお送りしますね
◆父親のクラウスが兵役に行っていた頃の昔は
◆木曜日の夕刻息子から電話で
◆親バカで、料理を作りすぎてしまいました。
◆「お母さん、こんなに手の込んだ料理を出してくれて本当にありがとう!」 
◆わずか1週間で何という変化があるのかと
◆土、日曜日、私はまた料理を色々作り、疲労を回復させ、
◆◇◆
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◆九州北部豪雨:阿蘇・内牧温泉復活させよう! 
商工会青年部など奮闘 店舗も徐々に再開 /熊本
http://mainichi.jp/area/kumamoto/news/20120723ddlk43040244000c

生家と代々のお墓を今回の九州北部豪雨災害で失ってしまった
◆友人松岡道世さんからの二度目のメールです。

<<今朝、上からの山の様な土砂、瓦礫の撤去作業、
胃が痛くなりました。
申請書や現場写真、業者を誰に頼めばよいのか、パニックになりか
けでした。
お金の心配をしました。
◆そんな時、孝子さんから電話あり、元気が出ました。
孝子さんは、人を元気にさせる、魅力とエナジーがあります。
いつも、楽天的な、明るいパワーが太陽を内蔵している感じです。
夕方、同級生の妹の主人が業者をしている事に思い当たり、
電話しましたら、「案ずるより、産むが易し」で、申請書、写真等
業者の方で、してくれる事を教えて貰いました。
申請だけ、しておけば、順番待ちですが、県、国の費用で
撤去作業費用を出してもらえるので、やっと安心出来ました。
老いた母上の面倒をみて、同じ、心配している友人
にも、電話しをして、同じ業者を紹介し、彼女も今日は、ゆっくり
寝られるそうです。
◆私費の費用や、業者を探す苦労をして、ずっと、不眠だったそうです。
心配で頭が痛い、身体も、ヨタヨタになってどうしたものかと
先の目途がたたないで悩んでいました。
市も大勢の人が電話、対面で押し掛けて、職員もパニックの様ですが、
いい加減な適当な応対をしないで、年寄は、どうしたらよいのか、
途方にくれて、悩んでいるので、分かり易く、説明して安心を与えて
ほしいです。
◆カウンセリングが必要な老々家庭が多いです。
撤去作業の方法、申請の仕方を知らない人が多いです。
対応窓口を新設して、災害特例法で、費用が個人負担でなく、
県、国が面倒をみる期間を設けていると、広報して
頂くのも急務です。
昔に比べて、地域の絆、結びつきが変化してきている様です。
情報弱者がいます。
この事を、感じて頂きたく、行政にお願いします。
胸のつかえがとれました。>>

◆次いで道世さんは私に紹介してくださった 
永冶ベックマン啓子さん宛にも
<<啓子さま 昨日で名古屋
(筆者註:啓子氏は、2週間名古屋のビール祭り
イベントの責任者としてこの時期日本滞在中)
は終わりましたでしょうか。
ドイツの2倍の温度、酷暑の名古屋、お疲れ様でした。
カイロにいるみたいでしたね。
ここは、中東か、アフリカかという感じですよね。
次回の大阪は、涼しくなっていると良いのですが。
◆温かいお電話とメール、心熱く、元気とパワー余裕を頂きました。
お礼を申し上げます。
もう、そちらへおつきになられましたか。
ゆっくり、暑さを回復なさいませ。
道世より>>
◆さてここからは啓子氏のエッセイをお送りしますね
[息子をドイツの徴兵に送って  3] 永冶ベックマン啓子<<最初の1週間が終わり、金曜日の夕刻大きなバッグを持ち、
私服で帰宅した息子のその姿を見て、私はアッと内心青ざめ、
一体何を体験したのかと、驚きを隠せませんでした。
何という変化、まるで白黒の古いドイツのドキュメンタリーの映画
に出てくるようなユダヤ人の男の子を思わせる出で立ちで、
髪を5㎜にしたのもあるが、頬も表情も引き締まり、わずか数日間の
間に別人の様に変化し、顔は青白く表情は硬くひきしまり、
るで幽霊でも見た後のような感じに変化していたのです。

父親は、この日仕事で国外に出かけていて、留守でした。 
◆父親のクラウスが兵役に行っていた頃の昔は、基礎訓練の3ヶ月の間帰宅
は許可されず、週末もKamerad仲間(戦友)と友情を深める為に、
行動を共にし、歌、演劇、話、スポーツ等したり、小旅行や教会へ行くなど
して過ごしたと色々聞いた事があります。
親が兵舎へ訪問する事は、3ヶ月が終わる頃許可されて、母親と叔母さん
が二人で面会に来たが、母親は息子クラウスがあまりにも痩せていたので
目を赤くして泣いていたそうです。その頃は携帯電話もなかった時代ですが、
大抵の他の母親も泣いていたそうです。
しかし、その時の仲間は、ミュンヘンに2人居て、1人は映画監督、
もう一人は出版社を持ち、古い写真を見ながら話してくれたが、
今でも仲が良いというので驚きます。

◆木曜日の夕刻息子から 「 兵舎の食事はお昼はお肉が多く、野菜がとても
少ない。魚料理が食べたい。」と電話で注文があったので、私は青空市場に
いそいそと買い物に出かけ、あれやこれや本人が好きなものを沢山購入し、
色々と料理してテーブル一杯にカラフルに出すが、美味しそうにゆっくり
味わって食べていたが、何時もと異なり半分位しか食べない。
「 なぜか食べられない」と言う。

◆親バカで、料理を作りすぎてしまいました。人は急激な環境の変化には
なかなかついて行けないし、受けている精神的ストレスもかなり大きいと
感じたので、マルチビタミン、ミネラル類等もサプリで飲むようにと
色々と出すと、実に素直に体が要求しているように飲んでいました。
朝食はパンが2〜3種類出るが簡単で、昼は一応フルコースだが、
夕食はドイツ人は後は寝るだけだから、沢山食べる必要は無い、
と大抵は黒パンとソーセージ、チーズ類、サラダ位で和食と比べますと
実に簡単です。

息子に何か特別な事が起きたかもしれないと様子を伺っていたが、
1週間の出来事を良く話してくれて、この子こんなにおしゃべりだったの
かしらと驚く程この時は話をし、私は映画を見ているように想像して
聞いていた。虐めなどはなかった様子だし、大きなショックも受けて
いない様子なので一応安心した。

デザートが終わり、テーブルを片付けはじめると、すかさず息子が、
◆「お母さん、こんなに手の込んだ料理を出してくれて、本当にありがとう! 
涙が出る程、美味しかったけど、全部食べられなくてごめんね。」と、
今まで聞いた事も無い言葉、まるで別人からのような言葉が、息子の口から
ごく自然に流れ出たのです。
◆わずか1週間で何という変化があるのかと、私はこの日の夕べに大きな驚きを
2回も体験しました。

“行進 ” の練習を毎日したという、正しい姿勢で、正しい歩き方、
右や左に方向転換する事、全員で(5人づつの小隊が5つで中隊25人)
リズムやスピードを合わせて行進移動する事、ルールがあり、案外難しい
という。かかとを このように 揃えて、手はこの位置でと
再現して見せてくれました。
「右向け、右、の指令の時、僕の前の子が 左を向いたんだよ、小さい声で 
右、右だよ」、と伝えたけど、後から 左と聞こえたと言うからよほど
緊張していたんだよね、とあきれて話してくれました。

敬礼の仕方も、右手の位置、左手の位置、角度で意味があり、
こうするんだよと見せてくれた。ドイツ語で、どのように報告し、
挨拶するか まじめな顔をして、演じて教えてくれました。
「明日の朝は起こさないでね、睡眠不足だから早く寝るね、おやすみなさい」
とお風呂に入って早々と自分の部屋へ消えた。

◆土、日曜日、私はまた料理を色々作り、疲労を回復させ、
迷彩色のユニフォームなど選択してアイロンかけて、
(この時もありがとうと息子は言う)日曜日の夕刻息子は兵舎に
戻るのでその準備を手伝いました。
出かける前、お末茶が飲みたいというので、好物の虎屋の羊羹を
添えて出すと、満足そうに
「 ああっ〜 おいしかった! お母さんのおかげで、また元気が出て
きたよ、ありがとう!」 と言い、玄関の踏み台に私が上がり、
184cmの息子を短く ハグ して、そして彼は兵舎へと出かけていきました。
私は165cmなので、踏み台か階段に上がらないと 
不味いのです。 ( つづく )
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_21世紀を迎えた今世界は混沌としています。日本もその渦て
政治経済ともに、国際的視点に立脚し欧州からの情報収集が不可欠に
なってきています。欧州の国際情勢を日記風にまとめドイツ滞在歴
40余年の経験を生かし、現地よりレポートします。
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