■Yuki von Murata氏からのイランレポート その2

2イラン・イスラム共和国へ <<2-1危機管理:ルフトハンザ・ドイツ航空フランクフルト・アム・マイン国際空港ラウンジ

ルフトハンザ・ドイツ航空フランクフルト・アム・マイン国際空港ラウンジでシャワーを浴び、日差しが強く入るラウンジで搭乗までの時間までゆっくりと飲み物と軽食で過ごしていた。この季節にしては、少し暑さを感じる気候であった。世界の情勢に詳しい北欧の友人にこれからイランへ行くとメールした。この時期にイランへ行くというメールを受け取った友人の反応は想像できた。

今回は有事の際に脱出できるように幾つかのサポートチーム(支援チーム)を予め構成した。基本は自力での脱出としているが。他の友人には、万が一の際は、イランから航空会社に脱出のための予約変更を目的とした連絡等の手段が断たれた際は、イラン国外から私に代わって、航空会社に連絡を取り私の航空券の変更方法ができるように記載した指南指示書を念のために封印して渡してお願いしていた。或は、有事の際の脱出に必要な情報(ナヴィゲーション情報等)を送信する事をお願いした。別の友人には何者かに身柄拘束された際には、相手には判らない暗号も取り決めていた。その際は然るべき政府機関に連絡し、救出できるように手続きを取ることができるようにした。ここで彼らに感謝の気持ちを改めて申し上げる。感謝の極み。


2-2某欧州情報機関の情報分析の再評価

2011年末に某欧州情報機関からのイスラエルのイラン攻撃時期に関する極秘情報分析は私にも伝わっていた。この情報の真贋の判断をしなければならなかった。前回の「クライン孝子の日記」の投稿文“イスラエルのイラン攻撃”の1.アメリカ国務省によるイスラエルイラン攻撃の1-2情報分析における基本事項で述べたように査定した。公になったアメリカの情報とことなり某欧州情報機関の分析時期が多少はやかった。この二つの情報源はイランへの戦争反対または警告したモサッド長官からだと推測する。なぜならば、通常このようなイスラエルの軍事攻撃計画の情報は事前に露呈しない。(著者のこの戦争に置ける意見は元モサッドの長官と同じである。)メディアに伝わるのは異常な事態だということだった。

しかしながらこの重複する情報は無視できなかった。その時期の中で、私はもし開戦があるとすれば3月以外ないと判断した。この時期はイラン国内がノウルーズ(新年ならぬ新日)による約一週間あまりの祭日でイラン国内は家族の元で過ごすための大移動による宿発施設の収容オーバー、交通網は満員で大混雑することと同時に、この時期は新月と重なる。すなわち月の光がない夜とも重なりイスラエル空軍が闇夜に奇襲による開戦時時期にはもっとも適していた。この時期を外すと、その時点で4、5、6月の開戦を予想するのは無意味だった。事実この3月頃を開戦とするようようにイスラエルはアメリカなどの会談を行なっていた。

だが、一方で、私が以前述べたように、イランは核を持つ技術があると周辺国に示すだけでもよいと分析したように、事実その後、3月アメリカのイスラエル系の新聞は、イランは核兵器を保持する意図がないと報道した。後にイスラエル政府も認めた。戦争の大義名分は失われていた。と言っても、全くイスラエル側に戦争の意志を放棄した様子もなかった。それは現時点でも継続している。情報を無視することは危険でもあり念のために3月が過ぎ去るまで遠まくながら事態を眺めていた。ご承知の通り、3月には開戦はなかった。

そして、別のメディアには公表されない情報が入った。攻撃時期は延びた。開戦時期を示す情報を入手した。4章イスラエルのイラン攻撃を参照

そのような理由から、この時期から4-5ヶ月先のある式典後までの間を外すと開戦の危険性があると即断し、イランへの入国手続きをした。通常は7‐10日かかるヴィザの発給だが時間がない。イラン外務省に至急の30日滞在(滅多に30日滞在の認可はおりない。実際の滞在計画はそれよりも短い日程だが、有事の際には隣国国境への移動等で日数を余計に費やす事も想定した。もしこのような状況下で滞在日数がギリギリあればオーバースティーになる可能性もでてくる。それはイラン国内法で違法となり、イラン国境を越える事が困難になる要因となる。)のヴィザ発給をお願いした。これも滅多できることではならしいが、翌日イラン外務省からヴィザ発給の認可がでた。その足でイラン大使館・領事部に至急で翌日受け取りができるように申請した。

次の課題は航空券手配。直前で航空券の座席は殆ど満席だった。航空会社に全てのルートで12フライト(イランへのフライトとアラビア半島諸国周遊のフライト)で空いている日を伝えてもらいリストアップした。不思議な事に旅程に全く無駄がなく空いていた理想的な日が一つだけあったので、その全てのフライトを押さえて確保した。同時にもはや金融制裁の影響を受け、イランの国際及び国内の航空会社と予約等のサービスを提供できる外国の航空会社はなくなった。イランへ直接予約の手配を行なった。各ルートの殆どが同じく満席であった。手配先がかなりのプッシュをして手配し最後の席を確保したようだ。それは予約の時点理想通りではないかったが、視察を終えてそれは結果として理想通りだった。

ヴィザ申請時に、イラン領事部担当者は私に興味があったようで質問した。前大使や前参事をご存知のようですね。どこでお会いされました?(具体的に述べる)観光ですか?仕事でなく?(何度も聞く。イランへ行った友人やお国の大使が素晴らしい国だと薦めるのでね。それで是非貴方のお国を観光で訪れたいという“誘惑に負けてね”。と微笑を浮かべて答える。心の中では実際は“視察”というお仕事だけどねと呟く。アラビア半島の某王国の石油会社からのオファーように油田買収という名目上の仕事をイランで適当につくるの方法もあるが面倒だ。それを準備する時間もない。)観光で?どうらや領事の頭にはこの戦争があるとされる時期に個人でイランを旅行する物好き、おめでたいやつ、無謀者あるいは愚者はあまりいないようだ。(戦争が始まる前は最前線に、戦争後は後方へと心の中で呟いた)名前にも興味を持つ。(その名前の由来通りの者ですよと答える。納得したようだ。)無事ヴィザは発給され、その数日後ルフトハンザ・ドイツ航空の翼に乗った。そこもドイツ領だからだ。

満月の夜に飛ぶツルをシンボルにしたルフトハンザLH600便B747-400は夕刻にフランクフルト・アム・マイン国際空港の滑走路をスタートしイランへ向けて離陸した。

2-3イランでのお仕事にはちょっとした心づけ(賄賂)が必要。
ルフトハンザの機内で私の隣席の人物は、ドイツ語のAUTOに代表される自動車関係専門雑誌を3冊持ち込んで何度も見ていた。私が席を外す際に、視線を合わし先方に失礼する旨と感謝の言葉をかける。その際、隣人の眼には友好的な感情があった。定評あるルフトハンザのCAによる丁重な食事の提供の際に、CAと話す会話はドイツ語ではなかった。ドイツ人ではない。かなり強弱のアクセントがある英語の発音であった。アメリカ語のアクセントは皆無、また女王陛下の大英帝国の発音ではなかった。ブロンドであることから、私は北欧かバルト海諸国あたりを母国語とすると推測した。

やがて、隣人と会話を交える際にスウェーデン人で、自動車部品関係の企業に勤めているということを隣人は私に話してくれた。推測は当たった。私は北欧に友人がいると話し、よく北欧へは行くと打ち明けた。相手も打ち解け、相手は年に何度もイランへ行き、1ヶ月ぐらい滞在すると話してくれた。この人物との会話では、イランでは何事も心づけ(賄賂)が必要だ。ということでお互い話題が一致した。(私はそのようなことしなくても、彼らイラン人はスムーズに私の要望を叶えてくれたが)一般にイランでは様々な書類や認可の手続きには担当者やその上の役任などに必要だと。でなければうまく仕事がはかどらないなどとその人物は笑ながら話した。これは、イランで仕事をした様々な企業人の間では常識でもある。イランで、警察官(偽警官でなく)から一種の嫌がらせのような難癖を言われた際なども賄賂で放免されることがあると報告がある。

やがて、ルフトハンザ・ドイツ航空は真夜中のテヘラン・エマーム・ホメイニー国際空港に到着した。
良い旅をとお互い挨拶して別れた。別れ時に先の3冊の自動車専門雑誌を笑顔で私にプレゼントしてくれた。

2-3-1機内サービス及びラウンジから見た中東
ルフトハンザ・ドイツ航空の機内サービスは私にとってはいつもながらゲミュートリッヒカイト(日本語翻訳不可:居心地のいい、家庭的、故郷にいるように落ち着くなどの意味)だった。オーストリア航空、スイス航空、スカンディナビア航空、フィンエアーも同様に心が落ち着く。

とは言え、最近はLCCの台頭で世界の航空会社は彼らとの厳しい競争を強いられている。エコノミークラスは世界の航空会社の多くはかつて程の質でなく、ある程度の質は落ちている。逆にドル箱のビジネスクラス客の取り組みに力を入れているようである。かつてはファーストクラスのサービスであったのをビジネスクラスに取り入れている。各航空会社は差別化を強化している。ラウンジにシャワールームやアライバルラウンジを設けている。

他方中東系では欧州系が真っ青になる千一夜物語のように豪華な食事の提供(無料)するラウンジを空港に設けている。アラビア半島の航空会社の中にはステーキや魚などフルコースも提供するラウンジもある。1980、90年代のトルコ航空は欧州系と比較して、期待やサービスにはそれ程評価できるものでもなかったが、冷戦後の中央アジアのトルコ系民族などとの経済の拡大とトルコの繁栄のおかげで、トルコ航空は急成長している。そのサービスには向上しており、イスタンブール国際空港のラウンジも目を見張るサービスもある。その他にこの地域で急成長している航空会社はUAE(アラブ首長国連邦)のエミレーツ航空、カタール王国のカタール航空などがその代表であろう。アジアではやはりシンガポール航空だろう。対してアメリカ系はうまく表現して清教徒のように質素。遅れてきた者が先になるということだ。

日本の航空業界の衰退はアライアンスなどのアイディアを創造し、先陣を切って世界に広げて行く姿勢もなかった。特に日本航空は世界の航空会社で構成するアライアンスに消極的であり、かつてアライアンス側から参加の打診があったが参加せず、自前でやるという姿勢だった。これはいまの冒険しない(リスクをとらない)、安全などこの世界にないのに安全という幻想にしがみつくに日本社会と同じに見える。故に韓国の航空会社にも、あるいは韓国の家電及び携帯企業に、押されてシェアーを失って行く結果として現れている。先の中東の航空会社を利用すると破産した日本航空の国際線は滅多に利用しないが、アメリカ系ほどでないにしてもやはり相対的に色あせる。冷戦の頃は笑ってはいけないと指導されていたアエロフロートはソ連崩壊から笑うように指導が変わり、最近はサービスが向上している。彼らに日本航空は抜かれるかもしれない。かつての半官半民の勘違いした高飛車な姿勢を持った社員は日本航空から見かけなくったが、まだ日本の民間航空会社のような努力は足りない。

他方ANA(全日空)の国際線も滅多に乗らないが、日本国内線は何度か利用する。最近久しぶりに乗った国際線も非常にサービスは良かった。一人の乗組員が顧客のために、同時にそれは乗員全員の信頼のために、全員が組織のためにと伝わる。国に頼らない民間企業としての企業努力とサービスは搭乗していてもよく伝わる。高く評価できる。かつ応援したい。

3.イランイスラム共和国に続く

YUKI von MURATA

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_21世紀を迎えた今世界は混沌としています。日本もその渦て
政治経済ともに、国際的視点に立脚し欧州からの情報収集が不可欠に
なってきています。欧州の国際情勢を日記風にまとめドイツ滞在歴
40余年の経験を生かし、現地よりレポートします。
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