■Yuki von Murata氏からのイランレポート その1

<<イランおよびアラビア半島湾岸諸国(クウェート、バーレン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーン)視察と戦争

1ダニエル書とペルシャ(イラン=語源:アーリア人=高貴な民族の意味)

*この章ではイスラエルとイランの歴史の概要をある程度理解していただき、その後の章の報告を述べる。同時にインテリジェンスに必要な思考方法も混ぜ込んである。

2章以降では、私の周りでもアラブ諸国へ旅行で行ったが、あの黒衣を見たときに、恐いと感じたといった印象を持つ人は少なくない。イスラム世界の独特の風習が日常でない国民から見れば、非日常であるイスラムの黒衣などを見れば恐いという印象を受けても人間の心理として不思議なことではない。その上英米アングロサクソン系の報道(情報操作)とその情報が正しいと受け入れ、情報操作されていることを自覚できない人々にとってはなおさらである。そのような視点とは別の角度からイスラム世界の一般の情報を通して、いかに多くの人が自覚できないうちに固定観念を知らずに植え付けられているか述べる。最終的にイスラエルのイラン攻撃について述べるに前に、段階的に危機管理、情報の収集、分析、思い込みなという危険性、教科書的な一つの見解だけが正しいと思うのは世界では生きていけないなどを織り交ぜて本稿を進める

アブラハムがメソポタニア現在のイランクにあるウルから神の声を聞き約束の地カナンへ移住した。(注1:パレスチナ人はイスラエル人をしばしばイラク人と揶揄する。これは本来のパレスチナの住民でなくお前達はイラクからやってきた外国人だろう。だから、ここを自分達の土地と言うのはおかしいという意味がある。そのパレスチナ人も純粋なアラブ人でなく、アラブ人と長年この地にいたユダヤ人と混血することにより、ユダヤ人はイスラム化し意識、記憶さえも薄れたアラブ人として同化した民族とする説もある。)神はアブラハムを祝福した。ヤコブ時代にエジプトに移住するが、数百年後には奴隷となった。月日が流れ、神に導かれたモーゼによってエジプトの頑固なファラオと何度も対決し、ついに神の業に畏れたファラオはエジプトから出て行くことを認めた。モーゼは紅海を渡りから脱出したが、荒野の40年を彷徨(注2:ドイツ大統領・ヴォン・ヴァィツゼッカー大統領の演説である荒野の40年はここから引用)。カナンの地を前にしたモーゼはその地を探るべくスパイを送り込んだ。

このモーゼが送り込んだスパイの記録が一種の固定概念のように、英米のアングロサクソン系あるいはイスラエルの情報機関では、記録に残る世界史で最初のスパイとしてしばしば好んで取り上げる。だが、ドイツ情報将校が作成したスパイの歴史では最初のスパイはそうではない。古代のメソポタニア地方の文献まで遡り述べている。モーゼのスパイはその後に取り上げられている。このような固定概念はよくある。

例えば、アメリカ合衆国の発見者は一般的にコロンブス(ユダヤ人)となっている。だが、ヨーロッパ(英国、北欧など)では、ヴァイキングがコロンブスより先に新大陸を発見していたと。新大陸にあるヴァイキングが移住した遺跡及び北欧の歴史的記録などの事実を教育現場では教えられている。したがって、北欧では我々がアメリカを発見したのだとよく主張する。さらに興味深い話として、アメリカ合衆国の末日聖徒イエスキリスト教会(一般にモルモン教)はバベルの搭崩壊後と紀元前600年に神の声を聞いたユダヤ人の集団(バビロン捕囚後の失われた10支族とは関係ない集団)が新大陸へ渡ったと教えている。但し、これは現在人類学、遺伝学、考古学的な裏づけなどは全くない。このような理由もあり、ドイツ連邦共和国では彼らへのゲルマン的な徹底した反論があり、我らが布教活動に心がしばしば折れ、もっとも派遣を嫌がる国の一つである。例の最後は、中国・明の武将・鄭和が率いる大船団がコロンブスよりも先に新大陸を発見したのではと言う説もある。

重要なことは、それが事実だと信じ込まされる事や、固定概念が崩れ去る事はよくある。柔軟な思考が必要だという事だ。偽りの情報も見抜ける。インテリジェンスの世界では思い込みの罠に陥らないことが重要である。

そうすれば、これから述べる預言者ダニエルほどの未来を見通す預言能力がなくても、パラレルな時間軸から直感と情報である程度の高い精度の確率で実現する未来の予測あるいはその分析の助けになる。これから述べるイランについても同じである。

話を戻そう。モーゼの後、イスラエルは神に祝福されたダビデ王そしてその息子ソロモン王が歴史に登場する。だが、栄華を誇ったソロモン王の死後、神は不信仰な民は預言通り、イスラエルをイスラエル王国よユダ王国に分裂し、一方のユダ王国はバビロニアのネブカドネツァル王によって滅ぼされる。時は流れ・・・

その王の息子、ベルシャツァル王の支配する王国バビロニア(現イラク)の王宮で宴が開かれていた時、空中を漂う人の手が現れ、灯し火に照らされる王宮の白い壁に文字を書き始めた。王は恐怖に駆られ顔色が変わり、腰が抜け、膝が震えた。王は王声を上げ、祈祷師、賢者、星占世術師などにこの文字を読み解釈できたものに褒美を与えると命じたが、バビロンの知者達には解けなかった。

王妃が先代のネブカドネツァル王ダニエルをお召しになればその文字の解釈してくれるでしょうと進言した。ダニエルが王の前に召し出された。

先王がユダ王国から連れ帰ったユダヤ人の補囚の一人(注3)であった預言者ダニエルは答えた。王は貴方の命と行動の一切を手中に握っている神を畏れ敬う事はなさらない。そのために神は、あの手を遣わし文字を書かせた。(注3)ユダヤ史において一般にバビロンの捕囚という

さて書かれた文字は「メネ、メネ、ケテル、パルシン」「その意味は、神は王の治世を数え、天秤に計られ、不足と見られ、その治世は終る。そして王国は二つに別けられる」と述べた。王はダニエルに褒美と第三位の国を統治する官位を与えた。その夜、王は殺された。

この聖書の物語を題材にした絵画は確かオーストリア・ウィーンにある。私にとってはいまも忘れる事ができない絵画である。 また私はメネ、メネ、ケテル、パルシンというミッションまたはオペレーション名を用いることもある。

王国を継いだのはキュロス2世大王ある及び。そしてダニエルは(ペルシャ人=アーリア人)キュロス2世大王とダレイオス王の治世を通して活躍した。

アケメネス朝ペルシャのキュロス2世大王(ゾロアスター教・拝火教の善悪の二次論はユダヤ教にも影響を与えた説がある。)はバビロニアを征服し、大いなるバビロンで戴冠式を行なった。そして、彼はユダヤ教の神に敬意を表した上で、バビロンの捕囚となっていたユダヤ人を解放し帰還させた。(ごく少数が帰還。大半は帰還しないで周辺にいたとされる。)そしてエレサレムの神殿の修復を支援した。また、大王によって世界最初の人権憲章が公布された。(注4)キュロス2世大王の人権憲章円筒は大英博物館に収蔵。

大王は有能な戦術家でもあったと同時に、征服した国家及び民族に対しても統一した統治にせず、征服した民族の既存の組織運営や風習を寛大かつ慈悲深く認めて統治した。それ故に後世の歴史にその名と名声を残した王はないと評価されている。後にペルシャを征服したマケドニア王国の(現ギリシャの一地方)アレキサンダー大王と共通していた。キュロス2世大王の王宮跡と墓はシラーズから1時間車に乗った古都ペルセポリス(世界遺産)からさらに車で1時間離れたパサルガダエの平原にある。ユダヤ人を助けたシンドラーのリストで有名なドイツ人シンドラー氏の墓にあるようなユダヤ人からの献花はそこにはない。

ユダヤ人は神の預言者通りの許され祖国の地へ戻った。ユダヤ人にとってはペルシャ人の大王は忘れてはならない恩人でもあった。

(注5)ユダヤの12支族の内戻ったのは2支族はだけであり、残りの10支族は失った10支族として世界に散らばったが、終わりの時にイスラエルに戻るとユダヤ人の間では信じられている。

ここでエピソードを述べておく。私が1990年代に或人物に紹介され会ったユダヤ人の某組織の長老Aは、日本人はユダヤ人の失われた10支族だとして、世界のユダヤ人組織にレポートを送っていた。(この組織はインテリジェンス組織ではないが日本の官庁、企業に対して、強固な人脈と情報ネットワークを構築していた。従って政治家、官、企業などの情報は筒抜けだった。私も彼らが得た日本の情報の一部は持っているが公にするつもりはない。その上、中には愛人遍歴のような情報のもあるが、それをネタに相手を攻撃するのは私の戦いの美学に反する。相手の得意とする土俵で戦う方が私にとって最も楽しい時間だ。)何十人かの参加者がいる中で私にだけに「お前はヘブライの神秘学、シンボル、シオニズム、トーラー、タルムードやユダヤ人の思考方法などの多くに精通しているからな・・・読むなよ」と笑いながらレポートを渡した。私は30秒の間にページを開きながら重要な内容を速読した。ある種の日本古来のシンボルがヘブライの重要な神を現すシンボルであり、間違いなく日本人は同じユダヤ人だとする趣旨の100ページ余りのレポートだった。これのレポートは某有名秘密結社フランス本部、シナゴーグやイスラエル大使館にも報告されていた。やがて、「オイ!読むなよと言っただろう!返しなさい。」と笑ながら言った。「私は拝読していませんよ。拝見しただけです」からと笑みを浮かべて返事した。

それから10年余り後の2000年代に、当時のエリー・コーエン在日本イスラエル大使(面識はある)などが、日本人が失われた10支族ではないかと調査を続けていた。あるユダヤ人学者は、確信を持って日本人はイスラエルに戻るべきだと主張する者もいる。仮に事実でも、いまさら四国ほどの面積しかないイスラエルに1億人あまりが帰還?という意見もあるが。例えば天皇家の菊の紋章は中東の王朝が掲げるシンボルであることや、ヤマト(ヘブライ語で神の民)としてやって来たとなど。また天皇の孫であられる中丸薫氏も天皇家とユダヤのつながりをその著書で伝えている。

私の個人的な意見は、日本の七福神が古代ギリシャ神話の神々から来たという学説が定着していることからも、ギリシャ人、インド人、中国人、朝鮮人、南方系などが多様な民族が往来していたであろうことから、ユダヤ人が日本に到着していないとは否定はしない。

世界中を旅して日本人とユダヤ人はコインの裏表のように関係に見える。日本人をある意味でユダヤ人的と感じる時もある。日本人にはユダヤ的な風習がある。ただ、私には本来ユダヤ人が理想とする世界、政治では天皇制、あるいはイスラエルの神が望む優しさ、思いやりを宗教や信仰でなくで日本人が社会的に無意識のレベルで体得し表現と行動できる種族に見える。(最近は劣化しているが)逆にこれは一部のユダヤ人が同胞に向かって選民思想を捨てろと自己批判するように、この選民思想は他民族の反感を買い迫害の原因なる。一方でそのために他民族に対して慈しむことなどができにくいこと・・・彼らが体得しなければならない点だろう。

従ってユダヤ人の理解とは異なるかもしれないが、聖書を読んだ私の個人的な意見は、イスラエルの神の真意は、イスラエル(語源:“友より先に人を助ける”という意味との諸説もある)の民に他の民族の“先頭に立って模範となる民となるように”と願って彼らを「選んだ」と理解している。(例えば、戦前の日本人が台湾でダムや農業に私を捨て、他民族であった住民のために力を注いだようにだ。)それ故に、この意味で神に選ばれた責務は単なる他民族より優秀という基準での選びより、より重い責務が民族に求められると受け止める。以上このようなお話があるということをここでは伝えておく。(注5終わり)

さて、やがて歳月が流れ、ユダヤ人はイザヤ書やダニエル書に代表されるのユダヤ人のメシア(救世主)としてイエス・キリストを受け入れることができず十字架に張り付けた。(ユダヤ人はイザヤ書やダニエル書のメシアはまだ現れていないと信じている。)やがて、預言通りローマ帝国によって滅びた。ユダヤ人は世界に離散した。ダニエル書の預言にあるイスラエル再興である建国は20世紀まで待たなければならなかった。(注6前出のユダヤ人の長老Aとの対話でナチス・ドイツ第三帝国のヒトラーとシオニストの重要情報もあるが、現段階では詳細を述べなられない。)


他方、アラビア半島ではアブラハムに神がサラ(正妻)から子供が生まれると予告したにもかかわらず、子供を身ごもるには高齢のサラは神の言葉を一笑した。自由意志を人間に与えた神にとっても、人間をロボットのように操る事しない。アブラハムは神の約束の言葉に対して忍耐をもって待つことはできなかった。聖書の人物の多くは人間らしい弱さを兼ねている。彼とその侍女のエジプト女の間に(サラの子供よりも先に)子供が生まれた。侍女は正妻の座を狙うようになった。女の怨念は恐いもので、サラとの間で争いが起こり、困り果てたアブラハムは、エジプト女とその息子を同行から外し荒野へ去るようにした。神はエジプト女とその子孫にも祝福すると約束した。その子孫であるアラブ人から、マホメットが現れアッラー(神)の使わした天使ガブリエルの啓示を受けイスラム教が興り勢力を広げていった。日本の般若(女性の怒りを表したお面)に代表されるように女の怨念はそれはそれは恐いもので時空を越えてその子孫まで対立と言う怨念は引継がれている・・・。

中東地域がイスラム教徒の勢力下になっても主にオスマントルコのアラブ人やトルコ人と同じ肌の色のユダヤ人スファラディや北アフリカの肌の黒いミズラヒとアラブ人やペルシャ人とは大抵は仲良き隣人としてお互いに住んでいた。その関係はイスラエル建国まで続いた。

が、しかし、ロシア・ベラルーシ・ウクライナ(注7今日チェルノブイリ原発事故で国土が汚染された地域は、ロシア女帝エカテリーナーによってここは広大なユダヤ人ゲットー地域となっていた・・・そこは、反ユダヤ色が強い地域でもあった。)、東欧や欧州地域で長い間に渡ったって迫害されていた白いユダヤ人アシュケナージ達及び非セム系(注8ユダヤ人と血統の繋がりがない。カスピ海周辺の民族がユダヤ教に改宗)とされる説があるハザール系達、シオニスト達が移住してきた。そして建国と同時にその後対立と争いをこの地域に持ち込んだと、肌の黒いユダヤ人の中にはそう考える者もいる。(注9建前ではイスラエルではユダヤ人同士の差別がないとしているが、主に中東・北アフリカ地域出身の肌の黒いユダヤ人はイスラエルでは2等国民扱いを受ける場合もある。アフリカ系のユダヤ人(黒人)は3等国民扱いを受ける場合もある。これはなにもユダヤ人に限らない。メッカ巡礼のイスラム教徒でも同じくアフリカ系(黒人)のイスラム教徒は巡礼でもクルーアン(コーラン)の教えにはない露骨な差別を受けている場合があるとのブラック・アフリカ系のイスラム教徒からの報告がある)。

もちろん、それだけではない。今日の中東での対立の原因は、大英帝国によるアラブ独立を約束したフサイン=マックマオン協定、英仏による中東分割であるサイフス・ピコ協定、パレスチナにおけるイスラエル民族の国家の建設を約束したバルフォア宣言という3枚舌外交にも原因はある。

イランに視点を戻そう。アメリカあるいはアメリカに従属していたイランのパフラヴィ王朝はアメリカ、ヨーロッパに石油をはじめ多くの利権を与えていた。行き過ぎ欧米化に反発などがおこりホメイニー師のイラン・イスラム革命によって倒された。

やがて。かつてのユダヤ人の恩人であったキュロス2世大王の臣下の子孫であるイラン、
最高指導者ホメイニー師の後継者はハーメネイ師(注10)とアフマディーネジャード大統領率いるイランは悲しい事にいまやイスラエルに核開発疑惑という恐怖を与える恐るべきかつてない強敵となって立ちあがっている。(視点によってはイスラエルの{都合のいい}敵にさせられた。)(注11イラン・エスファーンの中心部か1.5-2km離れたマスジェデ・ジャーメのようにモスクに寄っては両者の写真が大きく掲げられているモスクもある。偶像崇拝を禁じるイスラム教では珍しいことである。非常に疑問を感じさせるモスクだった。通常モスクには両者の写真はない。だが、空港や街の中では両者の写真はイラン国内で見かける。・・・私には彼がホメイニー師の正当な後継者と訴えているのは理解できるが、その威光を借りなければならない立場の脆さや弱さも感じた。)

ユダヤの聖書(旧約聖書)のダニエル書の預言は、キリスト教・新約聖書・ヨハネの黙示録、クルアーン(コーラン)同様に世界の終末を預言していると解釈する者は多い。日本人には理解しがたいことかもしれないが、キリスト教やユダヤ教の欧米社会では常識でもある。故にアメリカのネオコンの中には“人為的な終末”を起すことを望む(あるいはそれを人間の使命と考える)過激な者が政府に属する者の中にもいる。他方、同様の考えを下に戦争を望むイスラム指導者もいる。

イラン南部・・・砂岩の地層が目立つ山岳の間の草原の中に残るキュロス2世大王の栄光ある王宮は僅かな面影とての跡しかない。そして巨大な墓を眺めながら私は思った。もし現代の時代の状況を大王が見ていたら、なにを思うのか・・・。そして彼に仕えた預言者であり賢者ダニエルは、どう時の輪を解くであろうか・・・。我々は彼らより進歩したのであろうか? 
 
2章に続く。>>