■Lenarz さんより川口・マーン氏の[欧州で教会離れが進んでいる](文春4月号)について反論その1

◆盟友ノムラカツヨシ氏からのご紹介で
◆それからかれこれ半年後、再び川口マーン氏は「文芸春秋」4月号にて
◆そこで、真っ先に思い浮かんだのがAtsuko Lenarz 氏
◆川口・マーン氏の[欧州で教会離れが進んでいる]についてのコメント
Atsuko Lenarz, 2014年4月11日
◆[感想など述べる価値なし!]というのが感想である。 
◆最初に一言! 川口氏は教会通を自認しているようであるが、
◆日本ではカトリック教会からの再三の要望を無視して常に法王と
◆最初に川口氏は楽観視できないドイツの教会事情
◆この点を川口氏が紹介したこと自体には、何の異論もない。
◆ 世間の想像とは異なり、カトリック教会は
◆ 教会の権威失墜、停滞、信徒の離反は今に始まったことではない。
◆こうして少数派時代の精神的な独自性と輝きを喪失した瞬間に、
◆ ドイツではもう何年も前からカトリック司教団が
◆ 何故このような意見が大勢を占めるようになったのであろうか。
◆教会が統計上、明示される信徒の数のみに依存して安心しきっていた
◆筆者はこのような信徒の実態を飽きるほどたくさん見て来た。
◆教会批判、攻撃の矛先は、ドイツ語諸国では真っ先に教会税に向けられる。
◆最近はリンブルク司教館の新築にまつわる費用総額が大問題になり、
◆但し筆者は、教会税の制度が教会だけではなく、
◆教会は[お客様のご要望に応じたサービス機関]ではない、
◆◆◆「言志」18号 予告
http://ch.nicovideo.jp/ch132/blomaga/ar418736?cc_referrer=ch
=欧州におけるドイツの「完全復活」に続久野は日本である=
クライン孝子
◆「表現者」次号予告
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連載 情報戦略ー余りにも大きな日独間の隔たり
「スパイとジャーナリストの双面を持って」
クライン孝子
◆なぜドイツは脱原発、世界は増原発なのか。迷走する日本の原発の謎 −クライン孝子
http://www.kairyusha.co.jp/ISBN/ISBN978-4-7593-1203-4.html

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◆盟友ノムラカツヨシ氏からのご紹介で
Atsuko Lenarz 氏と懇意にさせていただき
*Atsuko Lenarz 氏カトリック教会聖職者の性的スキャンダルについて。
川口マーン氏へ反論
http://d.hatena.ne.jp/eschborn/20131123/1385196219
を拙日記に掲載させていただきましたのは昨年11月23日のことでした。

◆それからかれこれ半年後、再び川口マーン氏は
『文芸春秋』4月号にて
『欧州で教会離れが進んでいる』という論文を発表されました。
その後、さっそく、ドイツの大学関係者や知人から、
電話やメールでその感想が寄せられました。
内容はさておき、

◆そこで、真っ先に思い浮かんだのがAtsuko Lenarz 氏でした。
氏なら的確な感想を述べられるだろうと・・・
というわけでお願いしたところ、以下のような氏の貴重な感想メールが
届きましたので、掲載させていただきます。
Lenarz さん、
お忙しいところをご無理なお願い快よくお聞き届けくださり
誠にありがとうございました。心からお礼申し上げます。

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◆川口・マーン氏の[欧州で教会離れが進んでいる]についてのコメント
Atsuko Lenarz, 2014年4月11日

 文芸春秋4月号に
ドイツ在住の日本人、川口・マーン氏(以下川口氏と略記する)による
[欧州で教会離れが進んでいる]という記事が発表された。

筆者はクライン孝子様から本記事について感想を書いてほしい、
とのご依頼を受けて読んでみたものの、
◆[感想など述べる価値なし!]というのが感想である。 
しかし話題が主としてカトリック教会に関することであり、
信徒が極端に少ない日本では理解、認識が薄い部分も多いので、
事実誤認を訂正すると同時に川口氏の記述について
筆者の意見を述べてみたい。

◆最初に一言! 川口氏は教会通を自認しているようであるが、
それならば日本のマスコミが慢性的に使用する[ローマ法王]
という表現は正しい訳語ではないことを基礎知識として
知るべきである。
Papa(ラテン語及びイタリア語)、Papst(ドイツ語)、pope(英語)、
pape(フランス語)
などのカトリック教会の正式な日本語訳は[法王]ではなく、
[教皇]である。
◆日本ではカトリック教会からの再三の要望を無視して常に法王と
訳しているために、[お堅い法律で信徒を縛る時代遅れの堅物]程度の
不快なイメージしか湧かないのである。
川口氏の記事もこのような初歩的誤認から始まっている。

 ◆最初に川口氏は楽観視できないドイツの教会事情
(信徒数の減少、教会の停滞と権威失墜その他)を紹介しているが、
これについてはドイツのマスコミ機関が頻繁に報道しており、
またカトリック教会もプロテスタントの諸教会も独自に年次統計などを
通して信徒の実態を公表しているので、別に目新しい内容ではない。

次に川口氏は、教会、特にカトリック教会が金権体質、威圧的、前近代的、
差別的、排他的であるなど言い切り、
さらに世間一般のみならず信徒の大半までもが書類の上では教会に
所属していても、様々な教義内容などまともに信じていないこと、
彼等も教会に大きな不満と不信感を持っているなどの隠せない現実に
ついても書いている。
この辺りの事情はヨーロッパ=キリスト教社会というイメージが
未だに強い日本では余り知られていないので、
◆この点を川口氏が紹介したこと自体には、何の異論もない。
また同氏が自分は無宗教者であることを力説しているが、
これも全く自由である。
しかし問題は川口氏がキリスト教や教会についての正確な知識を
全く持たないままに極めて無責任な論評をしたことである。
そこで筆者は特に目についた記述や表現について多少のコメントを
入れてみたい。 

◆ 世間の想像とは異なり、カトリック教会は
キリスト教の宗派、或いは宗教の有無を問わず批判者の声には
常に耳を傾けて積極的に対話に応じている。
教皇庁付属の諸々の研究機関に席を置く学者も、
カトリック信徒だけではないのである。
しかし川口氏のようにカトリック教会について聞きかじり程度の皮相な
半知識、先入観のみを面白おかしい表現で書き連ねるだけの人間を
相手にすることはないであろう。

◆ さて教会の権威失墜、停滞、信徒の離反はなにも今に始まったこと
ではない。
信仰のマンネリ化、教会の俗化、信徒の背信などに対する危惧の念は、
キリスト教が社会の中に徐々に定着化する過程で既に4世紀から早くも
指摘されているのである。
 ある宗教が社会の中で全くの少数派であり、しかもその教義や信条が
社会の多数派や時代の潮流に合わない場合には、
両者の間には時として摩擦も起こり、緊張感を生み出す。
そのために少数者が多数派社会から非難、批判に晒されることは
珍しいことではないし、過酷な迫害を受けたこともあった。
 しかしこのような少数派の精神力が次第に社会の潮流を変えて行くほど
の影響を及ぼすことも頻繁にあることは、歴史が語る通りである。
ところが少数派集団がいつしか多数派に変容して社会の大勢を占め、
その思想が秩序を支える要となった場合には、
かつての張りつめた緊張感と少数者としての強い自覚は不要となり、
忘れ去られてしまう危険性がある。
◆こうして少数派時代の精神的な独自性と輝きを喪失した瞬間に、
弛緩、堕落、停滞などの事態に見舞われることが多い。
キリスト教会もその例外ではない。
ここ数年、マスコミで大々的に騒がれたように聖職者による
弁護の余地なきスキャンダルなどから受けたショックが、
今後も長く教会内で心理的な尾を引くことは確実であろう。
 しかし過去の歴史を顧みると教会では、
存亡の危機にまで追い詰められた時に必ず教会を刷新し、
新たに息を吹き返し、失われた名誉と信用の回復を目指す運動が
発生する。
これがキリスト教の底力とも言えるものである。
現在のカトリック教会は丁度、ここに差し掛かっていると言えよう。
 
◆ ドイツではもう何年も前からカトリック司教団が
[ドイツはもはやキリスト教国ではない。]と公言している。
統計の上ではカトリック教徒、各派のプロテスタント教徒を
合わせれば全ドイツの人口の約60%を超えているが、
信仰の教義内容を正確に把握してこれを確信し、
何らかの形で実践しているという信徒は、
カトリック教徒では40%ほど、プロテスタント教徒に到っては40%にも
満たないのが現実である。
実質的に信仰を喪失している多数派の形式的カトリック信徒は、
いずれは教会の不祥事に対する怒りなど様々な口実をつけて
遅かれ早かれ教会から離脱するであろう。
こうなれば真の信徒はまたもや社会の少数者になること確実である。
この現状を前に書類上は多数派を占める信徒は、
[教会は世間の批判を聞いて、もっと近代化、民主化しなければ
数派として軽蔑されてしまう。]と言うのである。

◆ 何故このような意見が大勢を占めるようになったのであろうか。
これは信教の自由、言論の自由など全ての自由が保証されて
安定した社会に信徒も教会指導者も完全に埋没し、かつての緊張感を
喪失した結果であろう。
安定した秩序社会の中で司祭や牧師は信徒に洗礼を授ければそれで
十分と思い込み、キリスト教信仰の知識を正しく伝授することも、
教会に与えられた最大の使命[キリスト教布教]にも熱意を示さなかった。
信徒の側も教会との関係は洗礼と冠婚葬祭程度で、
肝心の信仰や教義について学ぶ熱意もなかったことは否めない。
従ってキリスト教徒でありながらその内容を殆ど知らず、
クリスマスや復活祭を伝統的な習慣として大切にするだけという人間が
急増した。
◆筆者はこのような信徒の実態を飽きるほどたくさん見て来た。
これでは急激に押し寄せてくる世俗化の波、各種の新思想の前に
無批判、無抵抗にあっさり呑み込まれてしまうのは自明である。
その結果、所属している教会が前近代的、非民主的、差別的に
思えるようになり、世間並の非難をするようになったのは
当然の帰結であろう。
教会とは、保守的或いは進歩的などというマスコミ的な発想法や
基準が通用する場ではないという認識は、完全に忘れ去られて
しまったのである。多数派社会に調子を合わせて自らが仕える教会を
非難するような聖職者すらドイツ語圏諸国にいるのは、
周知の事実である。
彼等は世間から[改革派][進歩派][リベラル]などとして大いに
もてはやされている。多数派の要望を教会が取り入れれば、
事態を改善できると思っているようである。
 ◆教会が統計上、明示される信徒の数のみに依存して安心しきっていた
過去の怠慢を反省するようにと、強く促したのは
故ヨハネ・パウロ2世時代からであろう。
しかしそれまでに圧倒数の教会人は、何でも言いたい放題、
書きたい放題という自由奔放な社会に飼いならされてしまっていた。
そのために弛緩した教会の現状を治す処方箋は、
内部からの綱紀粛正と自覚の向上、自己反省と基本姿勢へ復帰に限ると
唱える教皇と、ここに耳を傾けた少数の信徒は、教会内外の世界から
事あるごとに反発を買うようになった。
[良薬は口に苦し。]だったのである。

 ◆教会批判、攻撃の矛先は、ドイツ語諸国では真っ先に教会税に向けられる。
川口氏は、380頁以下でまるで教会のみが教会税を取り立て、
好き勝手な方法でこれをもて遊んでいると言いたげである。
教会の使命はミサ聖祭などの儀式を行うだけではない。
キリストの福音を説き、実践するのが与えられた使命である。
そのためには資金は必要であり、ただ喜捨のみで生きるという受動的な姿勢は
許されない。
教会税は聖職者の生活維持費のみではない。
川口氏は、各種の社会福祉・慈善事業、教育費が
[教会税で賄われていると信じているドイツ人は多いが、そうではない。]
と断言するが、[そうである。]が事実である。
◆最近はリンブルク司教館の新築にまつわる費用総額が大問題になり、
司教が不正な手段で違法建築を建てたなどの噂がドイツ中を駆け巡ったが、
調査結果によれば教会内での連絡の疎通が不備であったことから、
数々の問題が生じて予想外のコストとなり、この点で司教と教会役員等の
責任が問われたに過ぎないのである。
しかも費用はもとからの教会資産から出ており、税金乱用などではなかった。 
また由緒ある教会でありながらも損傷のはげしい教会を修復するなど
文化事業も教会税ならではのことである。
これは政教分離がドイツ以上に遥かに徹底しているフランスなどでは
考えられないことである。
宗教的にも歴史的にも重要な教会が荒廃しても政教分離を楯に見捨てられ、
信徒の細々とした寄付以外に頼る道がないという困窮状況に苦しむ教会は
フランス各地に見られる。
 
 ◆但し筆者は、教会税の制度が教会だけではなく、
信徒の体質をも歪める足枷ともなっていることを痛感している。
信徒がこれほどまでに教会から離れてしまったというのに
なかなか重い腰を上げようとしなかった背景には、
教会税による一種の安心感が少なからずの聖職者の心を蝕んでいたことは
確かである。
しかも信徒であるか否かの識別を、教会税納入を基準にするなど、
ドイツの教会でしか通用しないやり方には反発を感じている。
しかし筆者はそれ以上に、この税金制度が信徒の根性をも
腐敗させたことを言いたい。
[税金を払っているのだから、教会は信徒の希望を受け入れるべきだ。]
と主張して、教会の神学と教義、規定、歴史的伝統に反する領域に
到るまでも[民主主義][近代化・自由化・]の精神を楯にとって
ずけずけと迫るようになったのである。
◆教会は[お客様のご要望に応じたサービス機関]ではない、
という基本的な認識は喪失し、信仰や教義についての理解よりも
時代の潮流に仲間入りすることの方が大切になってしまったのだ。
そのために自分達の要求を受け入れてくれない
非民主的な教会など離脱しよう、という結論に達する。
こんな状況下で暴露された聖職者のスキャンダル事件などが
信徒の教会離脱を一挙に加速化させたことは誰も否定できない。
教会を[非民主主義団体][差別団体]と見做している
左翼政党や緑の党では教会税廃止論が高まる一方である。
カトリック教会内からも教会の刷新、ゼロ出発のためには教会税廃止も
やむなしという意見は心ある司祭から既に出ている。
これに対して生活維持のために何としてでも教会税の存続、廃止反対を
声高に主張するのは、プロテスタント教会である。
 そこで蛇足になるが、宗教法人として認定されドイツ政府との契約で
税金を給料から徴収する団体はカトリック教会、プロテスタントの
主流派2団体以外にも存在することを川口氏に申し添えたい。
それはカトリック教会の儀式などを継承するが神学上の解釈から
ローマ教皇の首位権を認めない古カトリック教会
(altkatholische Kirche. ドイツ語圏内が中心)と、
シナゴーグの維持や運営のために税金を必要とするユダヤ人団体である。
ある一団体にだけ税金を廃止するという方法は許されない。
ドイツで増大の一途を辿るイスラム教徒の団体が国家認定を受けた場合にも、
税金徴収の制度を導入する可能性は十分にあるだろう。(続く)

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なってきています。欧州の国際情勢を日記風にまとめドイツ滞在歴
40余年の経験を生かし、現地よりレポートします。
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