■あれ!中西論文、「戦後最大の諜報案件『李春光』」? 氷山の一角ではないの>

■あれ!中西論文、「戦後最大の諜報案件『李春光』」? [氷山の一角]の間違いではないの
◆空花正人氏は『新しい教科書をつくる会』の立場から中西輝政氏論文批判
◆当時『新しい教科書をつくる会」にある種の嫌悪を感じた
◆これはまさしく権力闘争といってもいい。
◆今回藤岡氏は「Will」において、再び性懲りもなく
◆はっきりいいましょうか。これ、自ら『長いものに巻かれる』ことを容認
◆だからといって藤岡氏の主張に理+利があるのか、
◆例えば、「新しい教科書をつくる会」とその後分裂して
◆藤岡氏、したたかだなと思うと同時に、並みの人物では不可能
◆一方、藤岡氏はこれぞとおもう強者に対しては借りてきたネコのように
◆例えば、岡崎久彦氏の藤岡氏の第一印象はべた褒めで
◆それは私にとっては感動的だった。
◆良い教科書を作ろうというひたむきな姿勢には心を打たれた。
◆その(八木)氏の行動を擁護したのが岡崎研究所の岡崎久彦氏
◆それもそのはずで、この時期、何と岡崎研究所にて
◆岡崎研究所の「4人組」は中国本土で大変“有名”だそうである。
◆上記の事実を藤岡氏はご存知ないはずはない。
◆私は当時のごたごた事件も含め今も八木氏の立場を理解し、応援!
◆教育問題懇話会代表 空花正人氏より
◆当然のことながら中西先生は膨大な紙数を編集者から与えられ
◆「みなに知ってもらいたかった」というが正論読者を愚弄しています。
◆しかしいくら読んでも、李春光の足跡をたどる文章には、ただの一度も
◆岡崎研究所と中国社会科学院日本研究所との「日米安保対話」
◆岡崎研究所は名だたる軍事専門家の集まり。スパイ工作の格好のターゲット?
◆中西先生、私のような素人でもすぐにおかしいと気付くのに、
◆なぜ6年前も今も、御友人のことには目を塞ぎ、筆を止め真相を伝えないのか
◆さてここからは昨日お約束した永冶ベックマン啓子氏の
◆息子をドイツの徴兵に送って (1)
◆◇◆
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◆空花正人氏は『新しい教科書をつくる会』の立場から
「日本教育再生機構」=特に八木秀次氏,
今回「Will」に掲載された中西輝政氏論文を批判されています。

これには私も同感です。

◆ただし、当時『新しい教科書をつくる会」に
おける内紛、とりわけ八木氏に対する西尾+
藤岡両氏の「教授なる身分」、しかも「新しい教科書をつくる」
立場をわきまえない醜い一方的な攻撃には、ある種の嫌悪を
感じたものです。

なぜかといいますと、実はそのウラには、老獪な西尾+藤岡両
による、新米の若い八木氏らに対するイジメ。しかもジェラシー
らしきものがある。
自らが築き上げた組織を、次の世代にバトンタッチするのを惜しむあまり
何としてでも自分たちの下において支配する=固持する
◆これはまさしく権力闘争といってもいい。
そのためにいかなる手段を駆使してでも権力を放さまいとする
いじましい権力への執着です。
当時の西尾氏のブログにはその様子が、ここまで書いても
よいものかと、つい目をそむけたくなるほどの陰湿なアタックで次々と
自分を正当化するために、内部事情を暴露されていましたから。
これに、藤岡氏が相乗りされて、八木氏憎さで八木氏失脚?
のために、裁判にまで訴えて、貶めようとされたというのですから。

◆今回藤岡氏は「Will」において、再び
性懲りもなく八木氏攻撃の手を緩めないで
例の中国スパイ事件と絡めてこれぞ八木氏攻撃の絶好
のチャンスとばかり、八木氏非難に余念がありません。
私など、また、弱いものイジメがはじまったなとうんざりして
しまいました。

本来なら八木氏と中国社会科学院=李春光
を結びつけて八木氏とその関連者を糾弾するなら、その延長線上
にある岡崎研究所と
そのトップである岡崎久彦氏との関係も
オモテに出して問う必要がある。それなのになぜ、この件だけは
伏せて追及しないのでしょう。
◆はっきりいいましょうか。これ、自ら『長いものに巻かれる』ことを容認し
怖いもの、強いもの、つまり権力の頂上にいる岡崎氏には藤岡氏も
手が出ない、遠慮している。何か一言でも批判的なことを言って
面倒くさいことになるのを恐れているのです。
だから、故意にこの周辺には触れないで逃げているのです。
そうしておいて、叩けそうな、叩き易い八木氏を狙い撃ちにして、
叩きまくっている。

◆だからといって藤岡氏の主張に理+利があるのか、というと
私など、?マークをつけてしまいます
その一端ですが、
つい最近、私は拙日記にて
http://d.hatena.ne.jp/eschborn/20120702/1341236261
以下のように書いたものです

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◆例えば、「新しい教科書をつくる会」とその後分裂して新しく
「日本教育再生機構」が設立された時など、恐らく、
これは誰かが背後で糸を引き、意図的に分断工作を企んでいるなと
睨み勘ぐったものでしたが、今から当時を振り返ってみると、
この推測ですがかなり当たったような気がします。
とりわけかつて共産党員だった藤岡信勝氏の行動に興味を持
、注視したものでした。何しろ、氏の離党動機が「1991年8月から
翌年8月にかけて文部省の在外研究員として渡米するにあたって
『海外に長期滞在する党員は離党する』との党の規則に従って、
妻とともに党籍を離れ、帰国後も離党の意思表示をして党に
戻らなかった」というのですから。
◆したたかだなと思うと同時に、並みの人物では不可能な
行動だと感じたからです。、
その藤岡氏ですが、これは八木氏から直接,お聞きした話で
、ヴイキペヂア
にも記載されているのですが
<<八木秀次への阿諛と攻撃 [編集]
藤岡は思い込みや感情の起伏が激しいとされる。
代表的な事例としては、つくる会の内紛が続いていた
2006年2月22日未明、対立相手の八木秀次の自宅に
「ふざけるな!」と書いたFAXを送って八木夫妻を脅えさせた
ことがある[4]。
3月7日になると一転して「八木さんは将来ある、日本の宝です
と持ち上げ、3月10日夜には鳩サブレーを持って八木宅
謝罪に訪れ、後日、マグロのみそ漬けを送った[5]が
その後は「八木秀次氏はすでに中共の対日工作の窓口だった」
[6]「知識人として痴呆化しているのか」[7]などと激しい言葉で
非難している。藤岡は八木に対してこうした非難を繰り返しながら、
自らの共産党離党時期に触れた略歴メモを八木サイドの作成・送信
と決めつけ、名誉毀損で提訴し全面敗訴した。かつての同志への
このような攻撃など、藤岡の行為は保守言論界や保守運動に今も
大きな影響を与えている。>>
◆一方で、藤岡氏は
これぞとおもう強者に対しては、借りてきたネコのように
へりくだって見せ、以下のような一面を見せる
 ■Voice平成17年5月号「『新しい歴史教科書』は90点」
http://blog.goo.ne.jp/project-justice/e/4b4c47d44df450c6d5cc50b0d2cf9a88
◆例えば、岡崎久彦氏の藤岡氏の第一印象はべた褒めで
<<ここで私(=岡崎久彦氏)が今回この問題に関与した経緯を
若干ご説明しなければならない。
 去年の初め頃だったように思うが出版社から短い手紙が届いた。
趣旨は、近く『新しい歴史教科書』の改訂版を出すので
お気づきの意見があればご連絡いただきたい、ということで、
たしか、週の半ばに手紙が着いて、回答は週末までというような
ことだった。一種儀礼的な挨拶状であり、意見といってもその本旨
はせいぜいミスプリントの指摘ぐらいを期待している文章だった。
 私はちょっと気になって、藤岡先生に電話して、
「本当に直す気があるのなら、私には若干意見はあります」
と申し上げた。そうしたらば、藤岡先生と出版社の人が直ちに
見えてそれから2日間私の意見を聞いて下さった。
◆それは私にとっては感動的だった。「つくる会」発足以来私は
何の協力もしていない。外から見れば、その活動を白眼視している
と思われても弁解の余地もない。そんな私の意見を2日間にわたっ
聞いて、それを教科書に反映させて下さった度量の広さ、
◆良い教科書を作ろうというひたむきな姿勢には心を打たれた。
 そのうちに私を監修者の名に加えてもよいかとのお話があり、
監修者となると中立性の問題があり、これを支持する言論が
制限されるのを危ぶんだが、その心配はないということなので
お引き受けした。>>
とその返す刀で、自らも傷を負う形で2006年2月27日、
八木秀次会長を解任してしまった。理由は、2005年12月
理事会の許可を取らず中国へ赴き、勝手に中国へ行き、
勝手に懇談を行い、更には帰国後に中国社会科学研究院・
日本研究所長などを日本へ招待し現地の知識人と論争していた
事にあるというのです。
ところがその真相ですが
「理事会が真に危惧していた八木氏らのもうひとつの“暴走”―――
中国社会科学院の企図する日本攻略」ブログによりますと、
http://tamatsunemi.at.webry.info/201205/article_13.html
<<◆その(八木)氏の行動を擁護したのが、
岡崎研究所の岡崎久彦氏である。氏は、八木氏とともに、
育鵬社歴史教科書の監修者6人の一人でもある。>>
と指摘しそれとなくだが、岡崎氏を非難しています。。
◆それもそのはずで、この時期、何と岡崎研究所にて
中国社会科学院日本研究所と、 − 日中安全保障対話を行って
http://www.ch-sakura.jp/programs/program-info.html?id=1418
メンバーである佐藤守氏など、以下のような感想をブログで
公開しておられます。、
006-11-09 日中安保対話で感じたこと
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20061109/1163032815
<<先月の30,31日の二日間、中国社会科学院日本研究所
から来日したメンバーと、岡崎研究所で「第3回日中安保対話」
を行ったが、色々考えさせられた。

 第1回目の対話は、2000年9月に北京で行ったのだが
我々は元自衛官3名と主任研究員の計4人で、
北京側はスタッフを入れると10名以上、同時通訳つきで侃々諤々
討論だった。

ー中略ー

ところで蛇足だが、
中国の「“反日で尚且つ反政府”活動家」たちのサイトでは、
◆岡崎研究所の「4人組」は中国本土で大変“有名”だそうである。
その一人に私が入っていることは蒋所長自ら教えてくれた。
しかも前回の私の「中国漫遊記」に書いた所見などが非常に
参考になったので、今回も是非所見をブログに書いて欲しい、
と要望された。
本音を書いている私のブログを褒めてくれるなど、
さすが!
だが、情報網の現実を知る上では大変参考になる。
来年の訪中が楽しみである!>>
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◆上記の事実を藤岡氏はご存知ないはずはない。

もし知らなかったとしらばっくられるなら「Will」
にあの藤岡論文を掲載する資格など氏にはない!
と思います。
(私の推測では恐らく、一時は岡崎氏に腰を折るように
ご機嫌とりをして接近した藤岡氏のこと、この事実はすでに
氏もご存知だったと思います、)
それなのになぜこの件に関しては、一切触れないで八木氏や
その周辺の人だけに焦点をあてて非難されるのか。
◆この辺の不可解な事情ですが、私としては
直接、公けの場にてお会いしてお聞きしたいくらいです。

今一つ、私の立場を今一度皆さんにお知らせいたします。
こういう現状の中にあっても、
◆私は当時のごたごた事件も
含め今も八木氏の立場を理解し、応援させていただくつもりで
おります。

というわけで
◆教育問題懇話会代表 空花正人氏より
(筆者注:私も立場は氏と違いますが、同感です)
<<中西輝政先生は、我が国が誇る「中国工作員」
情報に精通されている、第一人者、大御所です。
そのようなお方に申し上げるには忍びないのですが、
一筆啓上いたします。

今を去ること6年前、
平成18年春、雑誌『正論』平成18年3月号―4月号は、
中国対日工作特集を行っていました。
◆当然のことながら中西先生は膨大な紙数を編集者から与えられ
それは詳しい論考をお書きになりました。その同じ雑誌には、
「つくる会会長、中国『反日の本丸』に乗り込む(八木秀次)」
が同じく膨大な紙数を使って、中国社会科学院の主張が掲載されました
圧倒的分量が支那側の定番の(新味のない!!)反日宣伝です。
文を載せた人は
◆「みなに知ってもらいたかった」と
いい訳をしていますが、正論読者を愚弄しています。

6年後、今度は雑誌『WILL』8月号に、「総力大特集 中国に反撃せよ」
 の劈頭に、中西先生の論考が載りました。題して
「戦後最大の諜報案件『李春光』」です。
(1)支那の対日工作の闇、
(2)李春光の実態と日本の甘さ、
(3)スパイ活動と工作活動、
(4)解き明かされた李春光の目的、と
4章―16ページに及ぶ膨大な論考です。

◆しかしいくら読んでも、李春光の足跡をたどる文章には、
ただの一度も「日本教育再生機構」との接触が書かれていません。
中西先生はご文で、中国社会科学院の正体を解説しているのに
中国社会科学院と日本教育再生機構、そして岡崎研究所
(岡崎久彦閣下主宰)との会合に関して、一言も言及がありません。

扶桑社の通信記事「虹」平成18年7月号にはっきりと、
5月17日に開かれた「日中共同研究の会合」が示されています。
その年の10月30−31日には、
◆岡崎研究所と中国社会科学院日本研究所との「日米安保対話」
が開かれています。
その司会役が「李春光まさにその人」です。
また皇學館大學は長いこと中国社会科学院と学術交流しています。
テーマは支那には無縁な(学んでも実現不能な)、
「わが国の地域福祉の歴史的背景と現在の地域福祉計画における
地方自治体の役割について」考察を行ったものです。

>李春光は、すでに大使館勤務前から、善良な中国人学者、
あるいは研究者として、日本の政治家や学者など、
日本の政策決定にかかわる人物に接触し、議論する、
あるいは「意見交換」するという形で、国の政策や世論形成に
影響を及ぼすメディア関係者への工作を行っていたと考えられる
。(『will』8月号ーP41)

◆岡崎研究所は名だたる軍事専門家の集まり。
日本教育再生機構は、当時は準備段階、やがて安倍晋三政権における
ブレーンと自称するようになる頃の、スパイ工作の格好のターゲット
であったはず。
まさにご文にかかれていることが進行したのです。
筒井や鹿野などの欲におぼれた、おっちょこちょい議員閣僚なら
引っ掛かるでしょうが、日本教育再生機構や岡崎研究所に集う、
我国保守言論界・知識人たる高名な方々が、自覚してかどうか
同じことをしてどうなるのでしょう。

◆中西先生、私のような素人でもすぐに
「何かお隠しになる事情でもあるのでしょうか、おかしいん
じゃないですか」、と気付くのに、
◆なぜ6年前も今も、御友人のことには目を塞ぎ、筆を止め、
大衆に真相を伝えようとなさらないのでしょうか。

ぜひ分かりやすくご説明くださいますようお願い申し上げる次第です。

教育問題懇話会代表
空花正人 拝>>

◆さてここからは昨日お約束した永冶ベックマン啓子氏の
「息子をドイツの徴兵に送って』を転載させていただきます。
ちなみに氏は、目下名古屋における「ビール祭り」のイベントの
オーガナイザーとして活躍されておられます。
とても盛大なお祭りに
なったとのことです。